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蛭谷和紙(びるたんわし)
紙漉き職人

川原 隆邦 さん

Takakuni Kawahara

富山県立山町蛭谷和紙

後継者がなく、途絶えかけていた「蛭谷和紙」。
川原さんは、病で倒れた最後の職人から口頭で技術を学び
現在、たった1人で伝統を繋いでいます。

和紙づくりに適した水と山を求めて。

越中和紙のひとつ、「蛭谷(びるだん)和紙」という伝統工芸の継承者である川原さんは、
上市町の隣の立山町の集落に、自ら改修した工房と古民家に暮らしています。
お仕事の考えかた、集落のこと、古民家の再生のお話などを伺いました。

水が綺麗で、裏に山があるお家を探していたという川原さんが選んだのは、立山町の「虫谷(むしたん)地区」でした。
山の水が豊富なこの集落は、昔は和紙原料である楮(こうぞ)が栽培された記録があり、「蒸し谷 = 楮を蒸す村」が「虫谷」になったといわれています。
楮の生産地だったことは、川原さんは住んでから知ったそうですが、偶然にも運命的なものを感じると話されました。

富山県立山町蛭谷和紙

集落を元気づかせることを自分の使命に。

川原さんは、和紙の原料となる楮・トロロアオイの栽培・採取から紙漉きまで、全ての工程を自ら行っていますが、
原料の畑づくりのために仲間や希望者を募り、開墾ワークショップを開きました。
また、楮の採取・加工を虫谷集落のお爺ちゃんお婆ちゃんたちに手伝ってもらうようにして
「小さな雇用かもしれないが、やりがいを感じてもらい、集落が元気になる仕組みができれば嬉しい。」とおっしゃっていました。

川原さんは、全国各地のクラフト展や伝統工芸展、ギフトショーなどにも積極的に参加して「蛭谷和紙」のPRや
青写真を和紙にプリントするワークショップもされています。
2020年東京五輪・パラリンピックに向けての「和紙のメダル」提案では、新聞に大きな記事が掲載されました。
和紙と金属はくをガラスでサンドイッチした和の趣きがある「紙」のメダルは、今までにない新しい挑戦です。
挑戦のモチベーションには虫谷の存在があり、五輪メダルが川原さんのメダルに決定すれば、
手伝いをしてもらっている虫谷地区のお爺ちゃんお婆ちゃんたちの活気にも繋がると考えているのです。

その場所にどれほど住みたいかが重要で、家はあとから探す。

移住の話では、「なぜその土地に住みたいか....そこが重要。
口コミと歩いて回り、そこに空き家があればラッキー。」、
そして、「そこに10年住むか、30年住むか、一生住むかで、暮らし方は全然違ってくる。」、
さらに、「根をしっかりはって、柳のようにしなやかで
柔軟なスタンスをもって暮すことが大事だ。」とおっしゃいました。
また、「国の補助金を当てにしすぎて移住先を決めて、
その後が続かないのでは意味がない。」と話してくださいました。
「移住しても、定住できない」というのが今の地域の課題で、ありがちなことだとよく聞きます。

川原さんは、常に新しく面白いことにアンテナを張っていて
イタリア米やそうめんをつかった事業の構想も考えているそうで驚きました。
古いものを大切にしながら、常に新しさを追求する革新の心を持ち合わせたいとのことです。
仲間同士で「口コミの古民家解体ネットワーク」を築き、解体される前に現場へ出かけ、
ドアや木材を譲ってもらった話やせっかく集めた古い趣のあるガラスを
何十枚も割ってしまった、うっかりエピソードも伺いました。

富山県立山町蛭谷和紙

人の1.5歩先を考える。

虫谷地区の使われていない古民家を仲間と一緒に再生してシェアハウスを作るプロジェクトも進行中。
シェアハウスを足がかりに虫谷のファンを増やしていくそうです。
古民家を選ぶチェックポイントは、「屋根と床下、そして必ず雨の日に見に行くこと。」
というアドバイスもいただきました。

川原さんの言葉で印象的だったものは、
「すぐに思い浮かぶことは、すでに他の誰かがやっていることが多い。
また、発想が先を行き過ぎても人の共感は呼べない。」
だから、「考えるなら...1.5歩先!」。

工房見学の後、お住いに上がり、お茶をいただきながら、ゆったりとお話を聞かせていただきました。
お話上手で豊富な話題に引き込まれ、発見も多く、とても勉強になりました。
本当にありがとうございました。